障害者の経済学

『障害者の経済学』

著:中島隆信

 

印象に残った文章をかいつまんで。

 

資本主義の世の中では、人間が欲求を持つのは当然で、それを充足すべく努力することにより満足が得られ、社会が進歩すると考えられている。ところが、仏教の考え方では、そうした努力をすればするほど欲求が膨らむので永遠の満足は得られないとし、欲求を減らし満足を高めること、すなわち…”小欲知足”こそが幸福に至るための道だと諭す。

障害児の子育てについて、親が抱え込もうとする原因のひとつは、子供の障害に対する親の”こだわり”にあると考えられる。障害を恥だと思う気持ちは、「この子が健常児であってほしい」という欲求の表れであり、障害児の抱え込みは「この子の世話は私にしかできない」というこだわりとはいえないだろうか。

 

私は”こだわりを捨てる”ことは”吹っ切れる”ことだと考えている。それは突き放すことでもなく、ほったらかすことでもない。子供の障害を受け入れ、そのぞんざいを認めるということである。これは子供の自立にとっても望ましい結果をもたらすだろう。子供は、親の”欲求・充足スパイラル”による呪縛から解放され、自らの意思に従って行動することができるようになるからだ。

 

最も効果的な弱者対策は弱者をつくらないことである。

 

弱者を生産の場から排除することは、共生社会の実現といった人道的見地から望ましくないことはもちろんのこと、限られたリソースを効率的に活用するという経済学的見地からも得策とはいえないのである。

 

それほど熱心には読み入らなかったが、ちらほらと良いと思った文章があった。脳性麻痺の子供を持つ経済学者であるので、お金の話をもっとしてくれるかなと思ったら、そうでもなかったように見受けられた。障害者雇用特別支援教育などのお話もある。

私も、特別支援教育について勉強したことがあるが、特別支援学校の授業のムービーを見ていて、確かに素晴らしいし有意義なことであるとは思うが、費用に対して見合うのだろうか……と考えてしまうことがしばしばあった。普通校では、1クラス30人くらいに1‐2人の先生が付くのに対して、特別支援学校では、少人数教育が必須なので、教員数が圧倒的に多く、その分お金もかさむ。

教育は、人道的な見地と経済的な見地の間で揺れ動く、難しいものだと思う。