日々の流れの中で

岡本太郎のこの言葉がとても好きだ。

 

 たとえ、自分がうまくいって幸福だと思っていても、世の中にはひどい苦労をしている人がいっぱいいる。この地球上には辛いことばかりじゃないか。難民問題にしてもそうだし、飢えや、差別や、また自分がこれこそ正しいと思うことを認められない苦しみ、その他、言いだしたらキリがない。深く考えたら、人類全体の痛みをちょっとでも感じとる想像力があったら、幸福ということはありえない。

 だから、自分は幸福だなんてヤニさがっているのはとてもいやしいことなんだ。

 ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代りに「歓喜」という言葉を使う。

 危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのときわきおこるのがしあわせでなくて”歓喜”なんだ。

 

――『自分の中に毒を持て』より

 

この言葉が思い出されてくるのは、日本全体が混乱の中にあるからだと思う。まだ癒えていない東日本大震災、終わらない原発事故、幾多もの大地震、台風被害……NEWSに災害映像が流れる日々が続いている。そして、世界でもあれこれと描き始めたら終わらないくらいに色々ある。しかし、そんな中で、わたしは平凡に仕事して、本読んで、食べて、寝ている。その圧倒的な違いに戸惑い、どう感じればよいのか分からなくなる。私は一応、安定した生活に就けている。家族との関係も一応良好である。恋愛には疎いが、一応信頼できる友達もいる。しかし、自分の狭い世界からちょっと頭をだして覗いてみると、困り、悲しみ、苦しんでいる人たちが沢山いる。私はそれを無視したくないと思いつつも、どうすればよいのか分からず、頭をひっこめてぼうっとしているうちに、また日常に戻るのである。

 

チェルノブイリ祈り』『苦海浄土』も読んでいて、同じ様に思った。あまりにも圧倒的な悲しみ、苦しみを受け止めきれず、ぼうっとしてしまう。ただ、そういう経験をした人たちは本当の本当のしあわせとはなになのかを理解するのだろう(永遠に取り戻せないものだけれど)と思う。………

 

私にできることは、まず忘れないということ。そして、祈ること。次にできることを探すことなのだろう。