子どものトラウマ 西澤 哲

身体的虐待→性的虐待心理的虐待の順にスポットが当てられていった。

身体の傷→心の傷ともいえる。

身体の傷はやがて癒えるが、心の傷はそう簡単にはいかない。

 

子どもを傷つけないで育てることのできる親など存在しない。どんなにすばらしい親でも、意図せず子どもを傷つけてしまうものである。では、子育てにつきものの子どもを傷つけてしまう体験と、心理的虐待とは、どう違うのだろうか。

その違いは、子どもが「自分は親から愛されている」「自分は親にとって特別な存在だ」と思えているか否かにある。「親から愛されている」と思える子どもにとっては、親の言葉や態度によって傷つけられる体験をしても、それが心全体にダメージを与えることはない。その体験は、「愛されている」という確信に基づく安心感に吸収されることになる。しかし、心理的虐待の場合には、心理的な傷つき体験の繰り返しが、「愛されている」という基本的な安心感そのものを揺るがし、壊してしまっている。そういった子どもにとっては、親の何気ない言葉や態度が、重大なダメージを与えてしまう可能性がある。

 

要約

ショッキングな体験・経験は心の「異物」になる。何とかして飲み込もうとして、何度も思い出したり、他人に繰り返し話したりする(それは、無意図的にも起こる)。

そうすると、当時のショッキングな感情が少し薄れてきて、自分の中に入ってきて「過去のもの」になる。

トラウマは中々そうならず、「当時のまま」「異物」であり続ける。治療やケアサポートが必要である。

 

トラウマって?

どのような場合に、その体験の記憶やその際の反応が自己意識に組み込まれなくなってしまうのだろうか。

一つには、その体験が心の処理能力を大きく超えてしまった場合が考えられる。先に述べたように、心に大きなショックを与えた体験は、反復的な想起や感情の再体験のもつ作用によって消化吸収されていく。しかし、心にはおそらく「耐性の限界」といったようなものがあり、その限界を超えるほどの強度を持った体験を繰り返し思い出すことは非常に危険である。つまり、そうすることによって、本体である心自体が極度の混乱状態に陥り、場合によっては解体してしまう危険が生じる。そのような場合、その体験は消化吸収されず、トラウマとなっていつまでも心の異物でありつづけることになる。

 

いずれにせよ、ある体験がトラウマとなるかどうかは、その体験の持つ強さと心の処理能力との関係によって、相対的に決まって来るのではないだろうか。

 

トラウマが「瞬間冷凍された体験」である

だから何かの際に思い出すと、ものすごく生々しいまま思い出すため、苦しむ。それをフラッシュバックという。「思い出す」のではなく、「今まさに起こっているもの」と同等に感じる。過去に戻される。

 

トラウマを持つ子どもたちは感情を適切に表現することがむずかしい。

何らかの刺激が心の中のトラウマに触れ、それがきっかけとなり強い感情反応が起き、当人にも抑えられなくなる。

また、虐待環境に育ち、感情をコントロールする力を獲得する機会に恵まれなかったのもあるだろう。感情をコントロールする力は生まれながらにして持っているものではない。養育者からの声かけ、関わりによって、学んで身に付けるもの。

 

子どもにとって、情緒的な結びつき、つまり愛着の対象を持つことは非常に重要な意味を持っている。人と人との心を結ぶ愛着の形成が、あらゆる面で子どもの精神的、心理的な健康の基礎となるといえよう。特に零歳~五歳くらいまでの乳幼児にとっては、自分を養育してくれる大人に対して愛着を形成することが最大の発達課題になるといっても過言ではない。愛着が基礎となって、子どもは「自分は愛される価値のある存在だ」という自己肯定感を持てるようになるし、また、「親が悲しむからこんなことはしないでおこう」といった善悪の芽が生まれることになる。

……愛着が形成されないことの最悪の結果は、「対象の内在化」の失敗ということだろう。対象の内在化とは、自分を大切にしてくれる人を心の中にすまわせることをいい、これは愛着形成の延長線上に生じるものと考えられる。つまり、適切な愛着関係を経験した子どもは、自分を愛し、はぐくんでくれる親などのイメージを心の中に取り入れるわけである。この内在化によって、子どもは物理的に親から離れていても、心の中にすんでいる親といっしょにいることが可能となる。このあたりを、ウイニコットは「孤独にならずに一人でいることのできる能力」と述べている。

対象の内在化ができなかった子どもは、親から離れることに不安を強く感じる(分離不安)。

少し大きくなると、他者にべたべたするなど、依存的な関係になってしまいがち。

 

トラウマを治療するには、再体験、解放、再統合のプロセスが必要になる。

注意点は、再体験は本人にとってはすごい苦痛となり得ること。再体験抜きにしては、それ以降のプロセスを踏むことが難しいこと。バランスを見ていかないといけない。

 

 

うん、読んでよかった。買おうかな…。

日本には、健全な心を持つ大人がどんどん少なくなっているのかもしれないと思うことがある。不健全な心を持つ大人が子供をもつと、どうしても傷つけることが増えると思う(虐待とまではいかなくても)。……健康な心を育てられる、守れるような社会になってほしいな……。