はずれ者が進化をつくるー生き物をめぐる個性の秘密ー稲垣栄洋

「多様性が大事」と思っていても、じつは人間の脳は「たくさんある状態」が苦手です。そして、「個性が大事」と思っていても、「バラバラにあるもの」が苦手です。人間は、目の前にあるものを、「できるだけ揃えたい」と思ってしまうのです。そのため、人間の世界は均一化する方向に向かいがちなのです。

 

自然界は人間の脳が理解するには、複雑で多様すぎるのです。そこで、人間の脳は数値化し、序列をつけて並べることによって複雑で多様な世界を理解しようとします。そして、点数をつけたり、順位をつけたり、優劣をつけたりするのです。序列をつけ、優劣をつけて比べることで、人間の脳は安心することができます。このように、人間は比べたがります。比べることに意味がないことだったとしても、人間は比べたがります。それは人間の脳のクセのようなものです。これは、致し方のないことなのでしょう。比べないと理解できない。これが、人間という生物が持つ脳の限界なのです。……忘れてはいけない大切なことは、本当は自然界には序列や優劣はないということなのです。

 

人間の脳は、できるだけ事態をシンプルにして、単純に理解したいのです。数値の順に並べただけでは、まだ理解できません。先に述べたように、人間の脳は「たくさん」が苦手です。できれば、二つくらいのものを比べて、どちらが大きいかとか、どちらが小さいかと考えるくらいが、気持ちが良いのです。そのために、人間が作り出したものが「平均」です。

 

平均に近い存在は、よく「ふつう」と呼ばれます。それでは「ふつう」って何なのでしょうか?……そんな人間の脳が好んで使うお気に入りの言葉に「ふつう」があります。「ふつうの人」という言い方をしますが、それはどんな人なのでしょうか。「ふつうじゃない」という言い方もしますが、それはどういう意味なのでしょう。

自然界に平均はありません。「ふつうの木」って高さが何センチなのでしょうか。「ふつうの雑草」って、どんな雑草ですか?

……先に述べたように生物の世界は、「違うこと」に意味を見出しています。いわば生物は、懸命に「違い」を出そうとしているとさえ言えます。だからこそ、同じ顔の人が絶対に存在しないような多様な世界を作り出しているのです。一つ一つが、すべて違う存在なのだから、「ふつうなもの」も「平均的なもの」もありえません。そして、逆に言えば「ふつうでないもの」も存在しないのです。

 

ふつうなんていうものは、どこを探しても本当はないのです。

 

自然界には、正解がありません。ですから、生物はたくさんの解答を作り続けます。それが、多様性を生み続けるということです。……かつて、それまで経験したことがないような大きな環境の変化に直面したとき、その環境に適応したのは、平均値から大きく離れたはずれ者でした。そして、やがては、「はずれ者」と呼ばれた個体が、標準になっていきます。そして、そのはずれ者が作り出した集団の中から、さらにはずれた者が、新たな環境へと適応していきます。こうなると古い時代の平均とはまったく違った存在となります。じつは生物の進化は、こうして起こってきたと考えられています。

 

自然界から見たら、そこには優劣はありません。ただ、「違い」があるだけです。人間は優劣をつけたがります。しかし、生物にとってはこの「違い」こそが大切なのです。足の速い子と遅い子がいる、このばらつきがあるということが、生物にとっては優れたことなのです。ところが、単純なことが大好きな脳を持ち、ばらつきのない均一な世界を作り出した人間はときに、生き物にばらつきがあることを忘れてしまいます。そして、ばらつきがあることを許せなくなってしまうのです。

 

「ものさし」で測ることに慣れている大人たちは、皆さんにこう言うかもしれません。「どうしてみんなと同じようにできないの?」

管理をするときには、揃っている方が楽です。バラバラだと管理できません。そのため、大人たちは子供たちが揃ってほしいと思うのです。しかし本当は、同じようにできないことが、大切な「違い」なのです。そんな違いを大切にしてください。

おそらく、皆さんが成長して社会に出る頃になると、大人たちは、今度はこう言うかもしれません。

「どうしてみんなと同じような仕事しかできないんだ」

「他人とは違うアイデアを思いつきなさい」

 

富士山という山は、どこからどこまでが富士山なのでしょう?

ここから先が富士山だという境界はありません。

ということは、どこまでも富士山は続いていることになります。

 

お釈迦さまの教えである仏教の基本的な考え方は「比べてはいけない」というものです。大昔から、比べてはいけないと説かれ続けているということは、比べないことがそれだけ難しいからでもあるのです。

 

人間の脳は、境界のない自然界に線を引いて区別をするだけでなく、線を引くことで比べたくなります。そして、優劣をつけたくなります。つまり、「区別」でなく、「差別」をしてしまうのです。

まず、自分と相手とを比べてしまいます。

比べるときには、自分を基準にして自分が「ふつう」と考えます。本当は、自然界に「ふつう」というものは存在しないのに、です。

そして、「ふつう」と「ふつうではない」と区別します。そして、自分とは違うものを非難したり、差別してみたりしてしまうのです。

自然界に境界はありません。「ふつう」もありません。イヌとネコの区別さえ、本当は説明できないのに、日本人と外国人との区別なんてあるのでしょうか。肌の色による人間の違いなんてあるのでしょうか。

「障害者」と「健常者」という区別もあります。しかし、体のすべてが正常だという人などいるはずもありませんし、体のすべてに障害があるという人もいません。

大人と子供だって境目はありません。小学生と中学生だって、通っている学校が違うだけで、本質的な境目はないのです。身長は毎日、毎日、少しずつ大きくなっていきます。ある日、突然、中学生の体に成長するわけではありません。

 

「フレーム」理論というものがあります。……

あなたは自分のことをダメな存在だと思うことがあるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。あなたは陸の上でもがいている魚になっていないでしょうか。飛ぶことに憧れるダチョウになっていないでしょうか。誰にも自分の力を発揮できる輝ける場所があります。ダメなのはあなたではなく、あなたに合わない場所なのかもしれません。

持っている力を発揮できるニッチを探すことが大切なのです。

 

ナンバー1になれるオンリー1のポジションを見つけるためには、若い皆さんは戦ってもいいのです。そして、負けてもいいのです。

たくさんのチャレンジをしていけば、たくさんの勝てない場所が見つかります。こうしてナンバー1になれない場所を見つけていくことが、最後にはナンバー1になれる場所を絞り込んでいくことになるのです。

 

勝者は戦い方を変えません。その戦い方で勝ったのですから、戦い方を変えない方が良いのです。負けた方は、戦い方を変えます。そして、工夫に工夫を重ねます。負けることは、「考えること」です。そして、「変わること」につながるのです。負け続けるということは、変わり続けるでもあります。生物の進化を見ても、そうです。劇的な変化は、常に敗者によってもたらされてきました。

 

最初に上陸を果たした両生類は、けっして勇気あるヒーローではありません。追い立てられ、傷つき、負け続け、それでも「ナンバー1になれるオンリー1のポジション」を探した末にたどりついた場所なのです。……

人間の祖先は、森を追い出され草原に棲むことになったサルの仲間でした。恐ろしい肉食獣におびえながら、人類は二足歩行するようになり、命を守るために知恵を発達させ、道具を作ったのです。

生命の歴史を振り返ってみれば、進化を作り出してきた者は、常に追いやられ、迫害された弱者であり、敗者でした。そして、進化の頂点に立つと言われる私たち人類は、敗者の中の敗者として進化を遂げてきたのです

 

簡素で、でも味わいのある文章でつづられた良書。

個性で悩んでいる子供たちがいたら、この本を渡してあげたいなあ。

人間は、どうも人間が作った言葉によって、振り回されてしまうことが度々ある。

そんな時、自然から教わる、気づかされることがあるのだろうなあ。

日本は、『曖昧さ』を大切にしてきたと思うのだけど、それは人間の脳の限界を知っているから(ある意味、全てを感じる心の方が広いのかもしれない)、くっきり境界を引くことを避けて、余裕を持たせるようにしているのではないかしら。

西洋は、どうも全てをハッキリさせたがりすぎて、逆にその枠の中に閉じ込められてしまうように思う……。さてはて。

今こそ、どう融和するか、混ざり合いながらどう理解・整理するか……を求められているのでは。